八幡神社
厚木市三田  標高:43.1m
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 応神天皇(八幡神)を祀る神社といえば、九州の宇佐神宮が名高い。九州の宇佐神宮の伝承によれば、八幡神は、はじめ「三歳」の童子で、竹の葉の上に出現したという。いわゆる「小さ子」の異常生誕に通じるのだが、一般には、この宇佐の八幡神と応神天皇は、同一ではない、と考えられている。
 もともとは宇佐の土着の神に過ぎなかった八幡神が、のちに応神天皇に重ねられた、というのだ。つまり、宇佐神宮の主祭神に誉田別命(ほむたわけのみこと)(応神天皇)と大帯姫(おおたらしひめ)(神功皇后)が選ばれたのは、
後世の付会だったというのである。しかし、はたしてこれは本当なのだろうか。神功皇后と子の誉田別という「名」が八世紀の『日本書紀』の中で創作されたとしても、それ以前、二人が宇佐とまったく関わりがなかったかというと、むしろ答えは逆なのではないかと私は考えている。つまり、神功皇后と応神天皇の
モデルとなった実在の母子に対する信仰がまず宇佐に起き、『日本書紀』成立後、祭神を『日本書紀』にあわせ、誉田別命と大帯姫としたのではなかったか。そう思うひとつの理由は、宇佐と住吉が、不思議なつながりをみせているからである。








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