林神社
厚木市林三丁目  標高 47.6m
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林神社(境内掲示板より)
御祭神  鹿島・三島・住吉 合祀
     (鹿島:武甕槌大神、三島:大山祇大神、住吉:中筒男大神)
御神徳郷土泰平住民守護の鎮守
由緒
 当社は人皇十二代景行天皇二十五年七月竹内宿彌:東國勧察の時勧請したと伝えられている。延享年間記せしものに「北陸東方諸国の地形を定る時相模の國は東の堺たるに由りて東方守護のため東林山に此神を祭る。世に愛甲神社と号す云々」とあり。思うに当社は延喜式神名帳には載せられていないが、千有余年前勧請の古社である。
 天正三年(一五七五)棟札を写したものに「日檀那相州森庄林之郷井上之苗裔○○○中之○在原業秀敬白大工下野○○○○○   縫殿總宗作之寄進之天正三年○○○月吉日」とあり。この年を以て再建○したものと言われている。
 元は愛甲神社三柱大明神と称され○○○○宮大神玉柱姫命も合祀せられ其の後林神社と称す。
 社地は東林山と号し社領一石五斗は天正十九年(一五九〇)以来朱印領にて水島石見守の宰○たりしが明治六七月維新の制令により村社に定め○社林神社と改称昭和七年六月二十八日神饌幣帛料○遣の神社に指定された。又「老楠一株(圍一丈八尺)を御神木とす」とあるが明治二○○当時の村のため伐採され其の記念として幼木二本が植えられ現在繁茂す。
例祭 十月五日・現在は十月の第一土曜日
末社 御嶽社・疱瘡神・稲荷社・蚕影社
        以上新編相模風土記稿○○○○○○○○
    平成五年八月一日     宮司 水島茂廣
 武甕槌命(武甕槌大神)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)の首を斬り落としたときに、流れ出した血から生まれた剣の神とされている。
 とりわけ、武甕槌命の活躍のハイライトは、国譲りの場面だ。武甕槌命は、高天原(たかまがはら)の天照大神の命令で、地上の支配者の大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りの交渉をする最後の切り札として派遣された。
 いよいよ大国主命と対峙したとき、十柄剣(とつかのつるぎ)(長い立派な剣)を、切っ先を
上にして波頭(はとう)に立て、その上にあぐらをかいて威嚇した。
 そうして交渉を進め、大国主命に地上統治権の譲渡を承諾させる功績をあげたとされている。






 このカゴノキは、樹高20m、目通り3.4m、枝張り東西13m・南北12mの雄株の大木です。主幹の根元は1本ですが、根元近くから3本の幹に分れ、さらに多くを分枝しています。
 樹皮は、平滑で淡紫黒色であり、幹全体が点々と円や楕円形などの剥片となって剥げ落ち、その跡が
白く鹿の子模様となるためカゴノキの名前が付いています。
 分布の北限に近い地域にあり、希少性・規模・樹形・樹勢等において市の天然記念物としてふさわしいものです。