白旗神社(法華堂)
標高 15.8m
ウォーキング地図へ
 白旗神社のある所は、源頼朝の館のあった大倉御所の北隅で、持仏堂があった所。頼朝の死後は、法華堂と呼ばれ、ここに葬むられていました。源頼朝の持仏堂であったことから鎌倉幕府の保護も厚く鶴岡八幡宮と並ぶ崇敬を集めた。


 江戸時代末までは寺院として法華堂があった。明治維新に白旗神社と改められた。

 神社奥の山上には源頼朝の墓がある。また、その少し先に大江広元、毛利秀光(大江広元の四男…長州藩主・毛利氏の祖)、島津忠久(薩摩藩主・島津氏の祖)の墓もある。これらの墓は、江戸時代になってつくられた。島津も毛利も後にも手を結んで行く事になったのだろうか。

 石の神明鳥居(しんめいとりい)という形式の鳥居をくぐるろと拝殿(はいでん)があり、その奥に本殿があります。
 江戸時代にはこの場所に法華堂がありましたが、明治時代になり、それまでは一緒にまつられることも多かった神と仏を切り離す神仏分離の政策によって法華堂は廃され、1872年(明治5年)この神社が建てられたのです。
 このお堂が廃されたとき、そこに安置してあった仏像三体と手洗石は来迎寺(らいごうじ)に移されました。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
荏柄天神社へ  大江広元の墓へ  源頼朝の墓へ  白旗神社(八幡宮内)へ  宝戒寺へ
1頁へ