隋我山 来迎寺(時宗)
鎌倉市材木座2-9-19 標高 8.9m
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 本堂の右には三浦義明の墓といわれる供養塔(くようとう)と、石橋山(いしばしやま)の戦いに敗れて三浦に引き返す途中で、平家方(へいけがた)の畠山重忠(はたけやましげただ)軍に17歳の若さで殺された三浦一族の多々良良三郎重春(たたらさぶろうしげはる)の墓と伝えられている高さ2mほどの大きな五輪塔
2基が並んでいます。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 本堂裏手の広場には、「三浦大介公の家来の墓」と表示された100数基の小さな五輪塔などが並んでいます。また、来迎寺会館の中には三浦義明の木像が安置されています。
 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
・右側の立札には『三浦大介義明公之墓』
・左側の立札には『多々良三郎重春公之墓』
と書かれています
 戦で多くの人が亡くなっていますね。世界には戦に変わるやり方で、権力を手に入れる民族もいます。
 インド・ナガランド州に、20世紀末近くまで「首狩り族」として名をはせた民族が住んでいます。この民族は、一対一で強者・長者に挑戦し、その首を取ることを名誉とする民族でした。
 この行為をどのように見るか、悲惨なことと見るか、戦に比べればはるかに死者が少ないと見るか。
 第二次世界大戦頃から、基地や軍需工場の攻撃から無差別攻撃に移り、戦いで多くの人が命を落とすことが普通になっていますね! 


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