新居山 円応寺(十王堂)
鎌倉市山ノ内 標高 49.8m
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秦広王(しんこうおう)(死後7目)・初江王(しょこうおう)(死後14日目)・宋帝王(そうていおう)(死後21日目).五官王(ごかんおう)(死後28日目)・閻魔王(えんまおう)(閻魔大王)(死後35日目)・変成王(へんじょうおう)(死後42日目)・太山王(たいざんおう)(死後49日目)・平等王(びょうどうおう)(死後100日目)・都市王(としおう)(死後1年目)・五道転輪王(ごどうてんりんおう)(死後3年目)の10の王です。十王が死者の罪を裁くこれらの日に法要を行う慣(なら)わしになっているのです。
 十王像の一つである初江王像(国重文)、人の行いを記録して死後に閣魔大王に報告する神である俱生神(ぐしょうじん)の像(国重文)、十王の命令で悪人を懲らしめる地獄の鬼である鬼卒(きそつ)の像、閣魔大王が持つ杖で、死者の善悪を知らせる人頭杖(じんとうじょう)などは、 
いずれも鎌倉時代の作で、鎌倉国宝館に展示されています。
 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より




 石碑に「新居閣魔王」と。
閻魔さま……恐ろしい閻魔大王は天国の主だった!
「嘘をつくと舌を抜かれる」

 「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる」と、子供の頃に脅かされた。絵本などを見ると長い柄の釘抜きがあり、虎の革のふんどしをつけて金棒を持った鬼が、
恐い顔をした閻魔の両側に控えていた。閻魔は娑婆での行いを記録した閻魔帳を元に裁いて罪人たちを地獄に落とすといわれると、子供心にかなりの衝撃を受けたものである。なお、あのだぶだぶの閻魔の服装は中国の裁判官のものらしい。
 本当に閻魔に嘘はつけないのだろうか、閻魔の前で足が震えて嘘をつけない市民ばかりでなく、かなり場数を踏んで図太くなったワルもいるはずだ。閻魔が100%嘘を見破るとすれば、どんな仕掛けがあるのだろうか。
 人は死ぬと七日目に三途(さんず)の川の辺に




到着する。ここには、人が冥土(めいど)に行くために渡らなければならない三つの川があり、それぞれの川の流れは三つに分かれていて、前世の行為によって、渡る流れが決められるのだ。
 川の辺にある衣 領 樹の下には「奪衣婆(だつえば)」という老婆がいて、死者の衣類を脱がせて木の上にいる「懸衣翁(けんえおう)」という爺さんに渡す。それを爺さんが木の枝にかけると、衣類の重さで枝が垂れ、その垂れ具合で生前の罪の軽重がわかる仕掛けである。
 その前に、「倶生神(ぐしょうしん)」という男女の神さまがいる。
だれでも生まれた瞬間から左の肩には男の神が、右の肩には女の神が乗っていて、男の神はその人の善行を、女の神は悪行を記録しているのである。
 そして、死んでから三十五日目の閻魔大王の裁判の時に肩から降り、奪衣婆と懸衣翁とともに漏らさず奏上する。その上、亡者のすべての行いを映し出す
浄玻璃鏡をはじめ八枚の鏡があるという念の入れようなので、嘘はすぐにばれるのだ。

(「謎だらけ日本の神さま仏さま」 山下昌也著より)




 釈迦の時代より数百年さかのぼるインド最古の神話叙事詩『リグ・ヴェーダ』にヤマ(夜摩天・焔魔天(えんまてん))という神が語られている。ヤマは太陽神の子である。双子の妹ヤミーと結婚して地上で暮らし、子孫をふやした。これが人類の始まりだという。
 この人類の父祖ヤマは、あるとき、未開の領域を探検して、そこに死への道を発見した。そして、その道をたどって最初の死者になった。以後、すべての人は父祖ヤマの道をたどって死におもむくことになり、ヤマは死の国の王になったのである。
 そのとき、死は永遠の安らぎであった。
 死の道は天上に通じており、ヤマの王国は光の楽園だったのである。死者たちは生前の苦悩から解放され、ただ楽しみのなかにいることができた。
 この光の王国に行くには、ひとつの条件があった。肉体を浄化する炎によって火葬されるなど、適切な方法で葬送の儀式がおこなわれて、魂が父祖ヤマの道を迷わずゆくように送られることである。そしてさらに、生前の行いの善(よ)し悪(あ)しも条件に加えられ、しだいに、その条件のほうが重大であると考えられるようになった。

 ここにヤマは、死者たちをきびしく裁くものに変化した。それとともにヤマの王国は光の国と闇の国に分裂していったのである。の国は天上から地下にうつり、ナラカ(奈落(ならく)=地下の牢獄)すなわち地獄に変わった。
 ヤマは地獄の王になった。さらに中国道教で死者を裁く冥土の大王とむすびついて、生前の罪を裁いて厳しく罰する閻魔大王になる。

(「まんだら絵解き図鑑」 小島サエキチ著 より)








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