熊野神社 → 福善寺へ
距離:360m  標高 出発:11.0m 到着:22.3m 最高:22.3m 最低:7.3m
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 この先、旧国道2号線と鉄道を通すため、切り下げられました。
 石段を下り、左へ。
『のしあめ』を売っていました。もろぶたいっぱいの『のしあめ』をのみでわって計り売りしていました。丹花小路で作られるので、丹花あめとよばれていました。そのあめ屋でそのころふしぎな出来事がおきていました。 トントン、トントン、毎晩のように遠慮深げに
戸をたたく人がいました。 「おや、今晩もおいでたようだ。はい、はい今あけますけえ」
あめ屋の下人は、いそいそと戸をあけました。戸をあけると、いつものように細くやせた女の人のがそっと.戸の中に人り、
「丹花あめをください」
と小さな声がします。
 その手には、穴のあいた六文銭がしっかりとにぎられています、主人はいつもあめをつつみ、その女の人のに渡して銭をもらっていました。  しかし、なんだかわけがありそうな女の人に、このごろでは、[さあさあ、銭はいらんけえ」とひとつかみの


















 右の横断歩道を渡り、JRのガードを抜け、すぐ右へ。
(右折後)線路に沿っていきます。
あめをそっと渡すだけです。
「ありがとうございます」
と消え人りそうな声でお礼を言って帰って行く女の人のうしろ姿を見送っていました。
 ある雨もようの夜のことです。いつものようにトントンと戸をたたくので、主人が戸をあけました。
臼い手が出て、
「あのう、丹花あめをください。でも、もう銭がありません.それで、これを銭のかわりに」
見ると、白い着物のかたそでをさしだしています、
「銭はいらんよ。さあ、あめを持ってお帰り」
「ありがとうございます」
 女の人は小さな声で言い、帰って行きました。
 なにか深いわけがありそうなので、主人はこっそりと女の人のあとをつけて行きました。暗い夜道です。白い着物の女の人はすべるように行きます。主人もそっと急ぎます、すると、女の人は近くのおぎの門をくぐるではありませんか。


















 真っ直ぐ、
 左に曲がり、また石段を登ります。福善寺です。
いそいで主人もお寺の門の所にきました。風がさっと吹いてきました。
 主人が門の中におそるおそる入ると、青白い火がぼうっと浮かんでいます。 「ひゃあ、ひとだまだ」  主人は腰がぬけそうです。青白い火はパッと光ると、墓場の方へ飛んで行きました。
「おしょうさま、おしょうさま、ひとだまが出ました」
 主人はお寺に駆け込みました。
「何事ですかいのう」
おしょうさんが出てきたので、主人は、あめを買いに来た女の人をつけて来た話をしました。
 おしょうさんは
「そう言えばこの前から、夜な夜な墓場で赤子の泣き声がするといううわさがしょうたのう。こりゃあ、行ってみにゃあいけん」
 そう言うと、主人といっしょに墓場へ急ぎました。






すると、ひとつの墓石にまるまるとよく肥えた赤子が、よかって眠っていました。先ごろ、産み月で大きなおなかのまま死んでいった女の人の墓石でした。そしてあたりには、丹花あめの紙袋が散らかっていました。
「こりゃあ、産み月のおなかをかかえたまま、
すると、も死にきれず、執念で産んだ赤子にちがいない」
「そうじゃ、そうじゃ、赤子に丹花あめをなめさせて育てておったのじゃろう」
おしょうさんとあめ屋の主人は、母親の子に寄せる深い愛情に心を打たれました。
 その後、赤子は心のやさしい人に引き取られていきました。それからというもの、あめ屋に女の人は二度と現れませんでした。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載