正授院(浄土宗)
尾道市長江一丁目  標高:7.9m
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【伝説 正授院と葵のご紋と了般さん】

 今から三百年ほど前のことです。三原城西の丸門番の子として生まれ、幼名を「大順」という利発な子どもがいました。三原のあるお寺の小僧になった大順は、暇さえあれば本を読んでいました。まだ電灯もない時代ですから、夜になると菜種油のランプや使いふるしのローソクの明かりで書物を読むことでした。
 ある日お師匠さんに「お前はまだ小僧見習のくせに、お堂のふき掃除をするじゃあなし、庭の草取りもせんと書物ばかり読んでるそうじゃが…そうゆうことじゃいかんぞ」としかられました。
という懐かしい念仏の声が聞こえてきて、大順は涙があふれ出て止まりません。この寺では、四六時中称名念仏(常念仏)が行われていたのです。
「どうかわたくしもここで、常念仏をやらしてください」
と一生懸命にお願いしました。大順の熱意に住職の了頓和尚も根負けし、弟子の一人に加えることとし、「了長」と改名しました。
 三原の寺での苦い経験を忘れることなく、作務にも精を出し、ついにこの寺で出家剃髪し、浄土三部経なども学びました。了長の精進ぶりと才能をみた師匠の了頓和尚は、江戸学問所筆頭の芝増上寺へ勉学させること
 袴腰鐘楼
 鐘楼の裏に行ってみましょう。
大順が「わたくしは、お堂のふき掃除や庭の草取りも人一倍やっています。むかし、中国では夏には蛍の光り、冬には窓の雪の明かりで書を読んで立派な人になった人がいます。わたくしも読書が大好きです。早く文字を覚えて仏書を読みたいんです」
と口答えしました。このため、大順はとうとうその寺
を追い出されてしまいました。
 行く当てもなく、途方にくれた大順の足はいつの間にか尾道の方へ向かっていました。子どもの足です、まる一日かかって尾道町後地村(今の「長江口」)にさしかかった時、浄土宗正授院の本堂あたりから「南無阿弥陀仏・ナムアミダブツ・なむあみだぶつ…」








 寛延二年(1749)小川家九代孫正治の代、当時の名工石仏師地蔵屋勘兵衛の手になり刻まれた六地蔵が原形のまま維持されています。
としたのです。
 休むことなく勉学に励み、修行に努めたため、法主了也大僧正に認められ「了般」と改名しました。水を得た魚のように、どんどんと立派な僧侶への道を進み、江戸八王子大善寺、群馬新田大光院、鎌倉光明寺法主となり、ついに大本山芝増上寺四十ニ世法主に推
されました。しかも、増上寺三十二世了也大僧正や三十六世祐天大僧正の引き立てもあり、徳川五代将軍綱吉公やご生母桂昌院さまにも崇敬された了般大僧正は、尾道正授院や自分を江戸へ遊学させてくれ、常念仏に励んでいる師匠了頓和尚のことを気遣って、折りあるたびに帰って来ては年老いた帥匠を見舞いまし
た。
 今も正授院には、了也上人や祐天上人を経て、徳川家から頂いたたくさんの宝物が大切に保管されているということです。三つ葉葵のご紋のある仏像や什物が、ここ正授院にあるのもそういう理由なのです。
 また、この寺の不断念仏(常念仏)は、元禄十年






(1697年)二月二十五日から嘉永二年(1849年)までの五万日(約百五十年)間続きました。正授院内の片隅に、一万日(約三十年)ごとに一基の回向塔(石碑)が合計五基建てられており現在尾道市の重要文化財の一つとなっています。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載
(参考)
 六十六部とは、全国六六か所の霊場に一部ずつ納めて回るために書写した、六六部の法華経。また、それを納めて回る行脚僧。室町時代に始まり、江戸時代には、僧侶のほかに、鼠木綿の着物に同色の手甲・甲掛・股引・脚絆をつけ、仏像を入れた厨子を背負って、鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を乞い歩いた者をいう。
 笠岡屋の祖小川道海が六十六部になって迴国した記念碑とも云える納経立石ふたつがたっています。
 道海は壱岐守と称し弘治・永禄の頃(1555~1570)毛利元就に仕え、尾道にきて郡代の職をつとめ、のちに毛利家が美濃国大垣に出陣したときには、壱岐守も百五十人をつれてこれに従がい、このとき






壱岐の守の乗馬が名馬であったことから輝元に所望され、これを献上したという逸話ものこっています。
 壱岐の守は、仏心深く天正年間(1573~1592)に六十六部となって諸国の霊場を巡拝したが、当時は戦乱の最中にあって、自分の足と馬カゴ程度しか頼れなかった交通事情とあわせ、かなりの難苦行で
あったでしょうが、これを二度も成就させ、供養塔をたてたもので、もと旧長江八丁目にあったものを明治六年道海ゆかかの同寺に移しかえたものです。天正十六年と慶長二年(1597)の年号が刻まれ、向って右手が高さ2.65m、左手が2.4mで塔上部に彫りこまれた大日如来像は稚拙ではあるが、瞑目しているも
のの気品あふれる尊顔には精魂をかたむけた石工の、気概がうかがわれます。




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