本鏡山 常福寺(臨済宗建長寺派)
相模原市南区新戸  標高:m
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 悟りを得られなかった人間が地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道のなかを輪廻することから救うため、「六地蔵」が生まれました。
 六地蔵がうまれたのは、小野篁(おのの たかむら)が嘉祥二年(849)、熱病で意識を失って地獄に行き、そこで一人の僧が責苦に苛まれ苦しむ人々を救っているのを見た。僧は「私は地蔵菩薩である」と名乗り「六道の迷いの世界を巡りながら縁ある人々を救っているが、縁のない人を救うことはできず残念だ。貴方はこの地獄の有様と地蔵菩薩のことを人々に知らせてほしい」と語った。それを聞いて蘇った篁は、一本の桜の木で六体の地蔵菩薩像を刻んで大善寺の地に納めたことから、ここを六地蔵と呼ぶようになり、この話が庶民に地蔵信仰を広めたといいます。
 江戸時代に寺子屋が隆盛し、その結果、十八世紀の日本人の識字率は、フランス人やイギリス人よりも上で、世界一だったともいわれています。
 これは参勤交代によって、江戸の文化が全国に広がった影響があるでしょう。そして各地に寺子屋や私塾、藩校などが存在し、子どもたちの多くが
読み書きを学んでいたのです。
 寺子屋の中には「二律背反」ということを教育のコンセプトとしています。片方に偏らず、両方のバランスを考えるのです。教育には、厳しさが必要でが、自由も必要です。片方に偏らず、両方のバランスを考えたのです。
 また、寺子屋は、先生と生徒が決まっていませんでした。生徒の中の上級生が後輩に教えるという形だったそうです。



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