八幡神(応神天皇)を祀る神社といえば、九州の宇佐神宮が名高い。
九州の宇佐神宮の伝承によれば、八幡神は、はじめ「三歳」の童子で、
竹の葉の上に出現したという。
いわゆる「小さ子」の異常生誕に通じるのだが、一般には、この宇佐の八幡神と応神天皇は、同一ではない、と考えられている。
火事の跡は狛犬だけでした。
八幡神は、もとは九州の航海系民族の神さまで海神でした。
「八幡」は船に立てるたくさんの旗を表わす言葉でしたが、その後、大分県の宇佐(うさ)八幡宮を本宮として、八幡神(応神天皇(おうじんてんのう)の神霊とされる)を祭神とするようになったのです。
八幡神社や稲荷神社など、同じ名前の神社が多いのは、なぜでしょうか?
それは、神さまが分身の術を使えるから。神さまは分祀されても、霊験が落ちることはありません。
だから、人気のある神さまはどんどん数が増えるのです。
下溝橋宫不動明王座象
相模原市重要文化財 昭和三十五年五月十八日指定
本像は、旧下溝村鎮守八幡神社の別当天光院の本尊で胎内銘によれば享保九年十一月に建立、施主の大光院常照が、座間村大坊および新田村寿明院の紹介で鎌面扇ヶ谷在住、後藤左近藤原義貴に製作させたものである。義貴は当時の鎌倉仏師中での名工で、本像製作時は、三十一歳であった。本像はその後、大光院本尊として尊敬をあつめ、維新後の廃仏棄釈の際もそこなわれず、
明治四十三年七月の当社の火災にも、昭和二十年三月の部落の大火にも奇跡的に災禍を免れ、今日にいたっている。
四十九年十一月 (案内板より)
たいへん恐ろしい顔をした不動明王像
不動明王は大日如来の使者。右手に剣を持ち、左手に羂索(けんさく)(縄)を持つ。その剣で煩悩(ぼんのう)を断ち切り、羂索で煩悩を縛り、人々を救う。
不動明王は19の特徴を備えているとされているが、その顔は他の仏像の顔とかなり違っていて印象的である。不動明王の顔は左右が対称をなしていない。その目は、右目は全開しているのに、左目は細く閉じており(ただし両眼を全開したものもある)、右目では天を見、左目では地を見ているとされている。
そこで不動明王の眼は天地眼と呼ばれている。口も左右非対称である。右下の歯で右上の唇を噛み、左右の犬歯(牙〉の右は上に、左は下に突き出している。
顔の中で表情をもっともよく表わす眼と口。不動明王像ではそれらを左右非対称にすることで、恐ろしさが強調されている。 不動明王像は髪もまた左右非対称である。不動明王は長い髪をしており、通常それを束ねて左耳の前に垂らしている。すなわちお下げにしている。それは不動明王像に特有の髪型である。