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真っ直ぐ。
この先、右へ。
馬耕は市内で新田宿に一番最初に行われた。人々の証言によれば、大正七年頃だったとい。鉄製の大きな型を馬に曳かせて、田の土を荒起こしした。これを荒起し、またはスクともいった。水を入れ、土の塊(つちくれ)に水を含ませたあと砕きならして苗を植えられるようにす
る。これを代掻きといって二回行って田植えの出来るようにした。
新田宿、四ッ谷の田は、下が砂利層で、その上に相模川が運んできた肥沃な土が積もり、水利も良いし、水はけも良い。そのくらいだから馬を入れても、足が沈まない。正に、馬耕に最
適の場所である。当時の座間の米の平均反別収量は5俵であろう。ところが新田宿の西浦あたりでは座間の最多収の田があり、10俵ぐらいは取れたという。普通の倍で、これをセドリと呼んでいた。さらに見ていくと、新田宿・四ッ谷には、馬は多いし、田の状況は前述のように
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