巨福山 建長寺 総門(臨済宗)
標高 39.1m
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 臨済宗建長寺派大本山。鎌倉五山第一位。

 五代執権 北条時頼が、宋の蘭渓道隆を開山に招き開いた。日本で最初の禅専門道場の禅寺。地獄谷と呼ばれて刑場の跡地に建てられた。

 1293年の「鎌倉大地震」(死者二万三千人余)で堂宇は崩壊炎上、その後も建てては倒れ燃える、を繰り返す。


 鎌倉幕府は、元(モンゴル)に滅ぼされた南宋の僧(亡命僧)を優遇し、外交を行おうとした。それまでは外交の担当は朝廷であり、朝廷の外交のノウハウを引き継げなかった。外交を南宋の亡命者に依存した結果、元寇という戦争に突入することになった。運良く占領はされなかったが、海外の情報不足の組織が、外交の主導権を取ると非常に危険。この危険を再現したのが旧帝国日本軍、歴史は繰り返しますね。
 北条時頼が南宋(今の中国)の僧蘭渓泌道隆(らんけいどうりゅう)を招いて創建したわが国最初の禅宗専門道場で、禅宗の拠点として武家文化に多くの影響を与えました。山門・仏殿・法堂・唐門・昭堂・大覚禅師塔は国重文で、庭園は国名勝です。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 総門、扁額に「巨福山」とある。

 1783年京都の般舟三昧院で建立されたものを、1940年に移設したもの。
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