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突き当たりまで真っ直ぐ。
突き当たり手前に、「宇都宮稲荷」があります。
「宇津宮辻幕府旧蹟」の史跡案内の石碑が立っています。
「辻(つじ)」というのは間違いで、「辻子(ずし)」という京都や奈良で用いられた大路・小路を結ぶ道路がありました。ですから「宇津(都)宮辻子幕府旧跡」というのが良いでしょう。宇津都宮辻子は、小町大路
と若宮大路を結ぶ道でした。
このあたり一帯が、宇津宮辻子の幕府(御所)があったところだといわれています。尼将軍といわれた政子が亡くなった1225年(嘉禄元年)から1236年(嘉禎2年)まで、4代将軍藤原頼経(よりつね)のとき、幕府とした所です。付近からは、古瀬戸や常滑焼(とこな
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めやき)の壷(つぼ)の破片やかわらけなどが多数出土しました。古瀬戸とは、鎌倉時代から室町時代に、現在の瀬戸市やその周辺で作られた陶器で瀬戸焼の古いもののことです。常滑焼とは、12世紀初めから現在に至るまで、常滑市を中心として知多半島(ちたはんとう)全域で作られている、うわぐすりを使わない陶器
のことです。かわらけとは、うわぐすりをかけていない素焼きの焼き物で、浅い小皿形のもので食器や油皿に用いられていました。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より