仏教学者の鈴木大拙は、円覚寺へ参禅し大拙の居士号を与えらています。英文での著作、英語での講演により、ZENを世界的に知らせた人です。
ロンドンでの講演では「生きるとうことは、 お腹のへった時牡丹餅(ぼたもち)を食べるほど容易なものではない」と、また「小さくても芥子粒は辛いと聞くが、自分から出たものは、小さくても力がある。生命がある、本当の意義で活き活きしておる、他人の真似のできぬところがある。その真似のできぬところが自分である。
「九十歳にならないとわからないことがある」
こんな言葉を禅の鈴木大拙師が若い秘書に向かって語ったと。
二十歳で気づかなかったことを五十歳になってわかったり、五十歳でわからなくても七十歳になったら「そういうことだったのか」と納得することもある。
つまり、「今、わかっていること」がすべてではないのだ、と。
誰でも彼でも皆この真似のできぬところがあって欲しい」と言っています。と自分を見つめることを強くもとめている。