「こしごえ」という名の由来に。ついては_いんいろな説があります。
地形から見て北の方に小山が連なっていて高く、南の方は海に向かって低くなっており、そこに道があって人々が往来していたとみられます。南の方には肥えた士地が広がっていたようで、人々はこの肥えた土地を求めて、山の腰を越えるようにして移ってきたので、山の腰を越えるという意味から「腰越」となったのだろうといわれています。
昔、鎌倉と海月(くらげ)(横浜市にあった久良岐(くらき)郡のこと)との国境に深沢という大きな湖がありました。この湖には、五頭竜(ごずりゅう)という五つの頭を持った竜が住んでおり、いろいろと悪いことを重ねていましたが、とうとう津村(つむら)の港に出て来て人の子どもを食べてしまいました。津村の長者の家には16人の子どもがいましたが、みな食べられてしまいました。その後もたびたび村里に出てきては子どもを食べるので、人々は泣く泣く住み慣れた土地を離れて他の土地へ越して行きました。それでこのあたりを子死越(こしごえ)」とか「子死恋」というようになり、だんだん年月が経っにつれて、いつの間にか「腰越」となったといわれています。
(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)
昔、このあたりは海でしたが、それほど深くなく、干潮(かんちょう)のときは渡ることができました。背に物を背負って越すことができることから「背負越場(せおいこしば)」と呼ばれ、さらに背負腰で越すという意味から「腰越」になったという説です。
五頭竜の難を逃れるために、人々が腰まで水に浸りながら移っていったために「腰越」という名がつけられたというものです。言い伝えですが、竜は川の氾濫や津を意味していて、水が人々を襲ったという見方もあります。
なお、津という地名については、三重県の津や滋賀具の大津などと同じように「つどう(集まる)」の意味から、船着場の意昧に変わったものだろうと考えられます。昔、このあたり一帯が海であったことは確かだと考えられるので、港を意味する津が地名になったと思われます。