山門を入ると正面に本堂があります。龍口寺から片瀬川あたり一帯は元刑場(けいじょう)でした。処刑されたものの死体を埋葬(まいそう)して塚を築き、供養(くよう)したのがこの常立寺のあたりだといわれています。常立寺は、初めは回向山(えこうざん)利生寺(りしょうじ)といって真言宗(しんごんしゅう)の寺だったそうですが、永正年間(1504年ー1521年)に、藤沢の大庭(おおば)の生まれの日豪(にちごう)がたびたび龍口寺に参詣して日蓮についての法話をしました。利生寺(りしょうじ)の檀家(だんか)の人々も連れ立ってその法話を聞きに行き、名主の鈴木隼人(はやと)をはじめ檀家の人々が改宗し、天正年間(1573年ー1592年)に、日政(にっせい)が入山して正式に日蓮宗の寺となりました。一説には、利生寺が廃寺となり、新しく常立寺を建てたともいわれます。ですから常立寺は日豪(にちごう)が開山で、中興(ちゅうこう)の開山(かいざん)が日政となります。第9世日行(にちぎょう)のときに身延山(みのぶさん)の末寺となり、それから輪番八ヵ寺の一として龍口寺を守りました。
(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)