龍渕山 天應院(曹洞宗)
相模原市南区下溝  標高:73.3m
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 戦国時代に八王子を中心とした大石定久公(八王子滝山城主)の統治により、心源院、天應院等が季雲永嶽大和尚を開山にして、明応4年に建立されたと考えられます。

 虚空蔵菩薩を本尊とし、9石7斗の御朱印を賜り、5世太蔭師の時代、北条氏照の娘貞心尼を中興開基として、明応4年(1495)に当地に中興開山したと伝えられます。

 徳川家光の養育役であった青山忠俊により再中興されています。明治時代には、当地に麻溝小学校の前身にあたる下溝学校を開校、また下溝の松原集落にあった薬師堂を当地に移転、この薬師は関東九十一薬師霊場19番です。

 また、本堂、客殿、庫裡の新築が平成23年4月に終了し、落慶式を迎えました。
 「不許葷酒入山門」。葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず、と石柱に。
     仁王像:「吽(うん)」形
 仁王像は、もともとは、執金剛神(しゅこんごうしん)という、釈迦を守護する独尊でしたが、しだいに二体一対で安置されるようになりました。
 肩をぐんと張り、肘も左右に張り出し、両足に均等加重をしたポーズを仁王立ちといいます。
 仁王は金剛力士とも呼ばれ、仏法を守護し邪悪をしりぞけるために寺の入口に立っています。
     仁王像:「阿(あ)」形




 山号額 月舟宗胡禅師筆。
 六地蔵
 京都では古いころから、毎年七月の二十四日には六地蔵詣りといって、多くの人が近在の村をまわって歩きました。村の方では休みどころをつくってお茶を出し、子供は道のはたの石仏をひとつ所に集めて来ました。そうしてその顔を白くぬってすべてこれを地蔵となづけ、花をたてて食べ物をそなえて、
町から来た人に拝ませました。夏の夕方の地蔵祭りは、村の子のもっとも楽しいときで、三角にむすんだ小豆飯の味は、年をとるまで誰でもよくおぼえています。土地によっては寒い冬のなかばに、地蔵の祭りをした所もあります。


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