日露戦争では、陸・海軍合わせて延べ約30万人の将兵が動員された。この中で、不幸にして戦死と戦病死した人数 は55,660人で、この数は出征者全体の約19%にも及んだ。また病死者は27,190人で、上の数字と合わせると約28%の人々が戦没者という大きな犠牲を生んだ。さらに負傷者にいたっては154,560人という多さで、何事もなく無事に帰
還できた将兵はわすか22%に過ぎなかった。
以上のような数字を見ても、日清戦争に比べていかに日露戦争での戦闘が過酷なものであったかが分かる。
厚木地方から出征した軍人の正確な人数は不明であるが、戦没者は全体で70人、内訳は以下のようになっている。厚木町(秦市蔵氏の他1人)、依知村(吉田喜一郎氏の他7人)、荻野村(綱島市太郎氏の他8人)、睦合村(柳川積太郎氏の他13人)、小鮎村(高橋五郎氏の他5人)、玉川村(前場半次郎氏の他5人)、南毛利村(鈴木太之助氏の他8人)、相川村(鹿意元治氏の他15人)