日吉神社 → 法界寺へ
距離:206m  標高 出発:55.1m 到着:53.4m 最高:55.1m 最低:52.5m
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【荻野新宿】
 荻野新宿が誕生したのは、戦国時代の終わりごろのことです。当時の荻野郷は、小田原北条氏の有力な家臣であった松田康長の知行地でもあり、小田原道に沿い、軍事的にも重要だったこの地に、小合(子合)、公所などの住民の一部を移住させて、新しい宿場、すなわち荻野新宿が作られたようです。
 北粂兵は、南関東を自分の勢力下に入れると、領内の経済を発展させるために、月に6日開かれる「六斎の市」を各地に開設しましたが、この市は、売買資格の制限や営業税がなく、自由に商売ができる「楽市」として開かれていました。
 こうした市は荻野新宿でも開かれていて、天正13年(1585)には、北条氏直から市の規則を定めた制札(せいさつ)が出されています。
 今も当地の旧家に大切に保管されているこの制札を見ると、荻野新宿の市は、四と九がつく日に開かれる「四九の市」で、楽市を発展させるために、北条氏が市での乱暴などを厳しく禁止し、家臣の松田氏に市の監視を命じていたことなどが分かります。
 その後、近世の荻野新宿は、大山街道の要衝として大いに栄えましたが、変貌の激しい現在では、往時の面影をほとんど伝えていません。
 「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より












 法界寺は正面(西)方向。

 正面の道路沿いの右側に法界寺がありますので、横断し、
 クルマが多いので、交差点で道路の右側に移っておきましょう。
 道路右側に移動後、西へ。
 この道は、大山参りの一つのルートとして利用された「大山街道」です。上依知-下川入-荻野-愛名-伊勢原へとつづき、このあたりは、街道の要衝として、宿場、市で栄えた。
 「道標で知る 厚木のむかし」(厚木市地域づくり推進委員会発行)




 この先すぐ右に法界寺の山門があります。