三増合戦場跡
愛甲郡愛川町三増  標高:163.7m
 永禄12年(1569) 10月、甲斐の武田信玄は総勢2万の兵を率いて北条氏康の小田原城を包囲攻撃しますが、攻略することはできず、帰路を三増峠にとりました。これを察知した氏康は幕下の将兵2万を三増に進出させます。10月6日、三増山地一帯の武田陣に対し北条軍は随所に出撃し激戦となりました。緒戦は北条軍有利に展開しますが、武田方遊軍が背後から挟撃(きょうげき)すると、北条軍は総くずれとなり敗走しました。「甲陽軍鑑」には、戦死者は北条方3,269人、武田方900人と記されています。関係史跡として今日に伝わるものに、信玄の旗立て松・浅利信種墓所・首塚・胴塚などがあります。
  「愛川の文化財」20より