別願寺(時宗)
標高 13.4m
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 もと能成寺(のうじょうじ)といって真言宗(しんごんしゅう)の寺でしたが、1282年(弦安5年)、住職の公忍(こうにん)が一遍(いっぺん)の弟子になって名を覚阿(かくあ)と改名しました。そのとき寺も時宗(じしゅう)に改宗し、寺号を別願寺にしたと伝えられ、開山は覚阿になっています。
 室町時代には、鎌倉公方(かまくらくぼう)の先祖代々の墓や位牌をまつる菩提寺(ぼだいじ)で、足利氏(あしかがし)が代々深く信仰した寺でしたから、当時は大きな寺院だったと思われます。公開されていませんが、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)です。
 境内の本堂左脇の墓地の中に、「宝塔」といわれる、高さが3.2mもある立派な石塔が立っています。塔の四方には、鳥居形の中央に柱を立て、両聞きの扉をつけたものが浮き彫りになっていて、たいへんめずらしいものです。室町時代の鎌倉公方の足利持民(あしかがもちうじ)の墓だといわれていますが、そのつくりからみて鎌倉寺代後期の石塔と思われます。寺宝として、鎌倉公方の足利氏満(うじみつ)・満兼(みつかね)・持氏の寄進状など十通余りの古文書が保存されていますが。公開されていません。

 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
 普通のお家の玄関のようです。




 宝塔
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