八雲神社
鎌倉市山ノ内585 標高 36.5m
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 祭神:素盞嗚命(スサノオノミコト)

 1224年 鎌倉時代、疫病が流行した際に、村人が祇園八坂社の神霊を勧請したと伝えられる。また、室町時代に、関東管領上杉憲房が武運長久を祈願し京都から勧請したという説もある。

【祭神のスサノウノミコトについて】

『古事記』では
 「天の岩屋戸神話」は、須佐之男命(すさのおのみこと)が荒ぶって暴挙を起こしたため、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)が怒って天の岩屋におかくれになった、太陽神なので世界が真っ暗になり、困った神々は天照大神に岩屋から出てもらうためにいろいろ苦労する、そのかいあって岩屋から天照大神が出現し、世界に光がよみがえるという日本の神話である。

『日本書紀』では
 『日本書紀(にほんしょき)』は日本の歴史書で、最古の正史である。『曰本書紀』も天地創造から始まっているが、内容は『古事記』と同様であるが、もっと詳細に、書かれている。
 スサノオの尊(みこと)の暴挙に怒った。天照大神(太陽神)は天の石窟(いわや)に入り磐戸(いわと)を閉じてしまった。神々は木の枝に、八腿鏡(やたかがみ)と八坂環(やさかに)の玉を掛け、祝詞(のりと)を祈り申し上げた。そして天照大神が現れ、天地に光が満ちた。次に出雲に降り立ったスサノオの尊が大蛇を退治して草薙剣(くさなぎのつるぎ)を大蛇の尾から取り出した。
 元村社で山ノ内の鎮守である。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。例祭7月15日。境内社に稲荷社がある。小高い丘から見下ろすと北鎌倉駅方面の街並みが良く見える。古くは牛頭天王を祀ったため牛頭天王社と称していた。「相模風土記」に記すことによると、村人がこの地で疫病退散のために京都八坂祇園社を勧進したのが始まりだという。その後、この地に居を構えた関東管領上杉憲房が篤く信仰した。一方、社伝によると文明年間(1469~1486)に上杉家が扇ガ谷と山ノ内に分かれて争ったとき、山ノ内上杉家の憲房が武運長久を祈って、京都の八坂神社から勧進したという。
 境内裏側には庚申塔群がある。この中には寛文5年(1665)の銘のある石造庚申塔が存在する。これは鎌倉市内最大最古。
 また境内には清明石なるものがある。昔は十王堂橋を渡った道路の真ん中にあったらしい。この石をわざと汚したり、踏みつけたりすると祟りがあるという。しかし、この石を知らずに踏むと足が丈夫になり、足を痛めた人は石を清水で洗い、塩や線香をあげて拝むと治るとも言われたという。道路工事のため八雲神社に移された。清明とは平安時代の陰陽師安倍清明(あべのせいめい)のことであろうが、鎌倉には火事と清明にまつわる話が残されている。治承4年(1180)10月に鎌倉に入部した頼朝は、当初山ノ内にあった知家事兼道なる人物の館を移築してそこに住んだという※(『吾妻鏡』治承元年10月9日条)。この家は「晴明朝臣鎮宅の符」があったため200年間火災にあっていないという由来があったという。山ノ内には安倍清明の屋敷があったという言い伝えがあるが、明確ではない。この八雲神社の清明石にも「『清明石』があるので山ノ内は大火がない」との言い伝えがあるらしい(『かまくら子ども風土記』より)
 神社を訪れると、様々な狛犬像が我々を出迎えてくれる。神社の守護や魔除けといった役割を果たす霊獣だ。狛犬は古代オリエントで誕生したといわれ、その後、インド、中国を経て、仏教とともに日本に伝来したと伝えられる。
 獅子はライオンであるが、古代日本人は獅子を見たことがなく、これを異様な姿をしたイヌであると捉えた。そのため異国のイヌということで、「高麗犬(こまいぬ)」と呼ばれるようになり、やがて「狛犬」と転じたという。
 古くは宮中の調度品として用いられていたが、時代が下るにつれて拝殿の床上、拝殿前、鳥居そばと
 古くは宮中の調度品として用いられていたが、時代が下るにつれて拝殿の床上、拝殿前、鳥居そばと
 古くは宮中の調度品として用いられていたが、時代が下るにつれて拝殿の床上、拝殿前、鳥居そばと屋外に置かれるようになり、素材も木から雨露で朽ち果てにくい石へと変化した。
(「神社のどうぶつ図鑑」監修茂木貞純より)


 祭神のスサノオノミコトは、イザナギが川に入って、身を清めたときに、左の目を洗ったとき天照大御神が生まれ、右の目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれ、鼻を洗うと須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれました。
 スサノオのヤマタノオロチ退治の話では、スサノオがオロチに剣を振るうと刃が欠け、オロチの尾から草薙剣(くさなぎのつるぎ)が出てくるという話です。
 このことから、スサノオの剣は青銅製、オロチの草薙剣は鉄製で、オロチ退治とは青銅の武器を持つ部族が、鉄の武器を持つ部族と戦ったことを示すという説があります。




 石段の上にも祠があります。
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