浄土寺(真言宗)
尾道市東久保町  標高:19.9m
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 聖徳太子が創建したと伝えられる。多くの文化財をがあり“寺の町尾道”の中でも由緒ある寺院として、訪れる人も多く、境内にハトがたくさんいます。ハトのえさを持っていると腕や手に飛んできます。

 足利尊氏が九州平定や湊川の戦の際、戦勝祈願をした寺としても有名です。
 「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。

 裏の竹林には伏見城から移築したといわれる茶室 「露滴庵(国重文)」が寂然と建っています。

 ここの多宝塔(二重の塔)は日本の三大多宝塔の一つとされています。また、裏庭には茶室があり、わびさびの世界を漂わせています。
 また、墓地に隅の建物内にある五輪塔は2mを超える高さで、これだけ大きなものはそれほどないと思います。


 尾道市内には指定文化財が184件あり、そのうち65件がこの浄土寺に集中しています。なぜこれだけの名古刹が尾道にあるのか、ということは大きな謎です。
 また、三体もの聖徳太子像を所蔵しています。しかも全てが国の重要文化財に指定されています。これだけの重要な聖徳太子像を三体も所蔵している寺は法隆寺以外にはありません。

 他にも、足利尊氏の念持仏を所蔵しています。鎮護安寧と勝利を祈って、尊氏が肌身離さず所持していた念持仏をこの浄土寺に奉納しています。その奉納の後、京に上り政権を奪取しました。

 室町幕府樹立前、しかも九州で勝利を収めたその念持仏を、なぜ残して行ったのでしょうか。念持仏は、一つ一つの戦いで新たに変えるものではないし、九州での戦勝後、室町幕府樹立前となれば、それにもまさるものを授かったのでしょうか。戦勝祈願の中心的何があったのか、いまではわかりません。

 室町政権奪取以後の足利氏の尾道庇護は、浄土寺以外に、西国寺には足利六代将軍義教が三重塔を寄進し、天寧寺は足利二代将軍義詮の寄進で建立されています。尾道は、ただの都市ではなかったのでしょう。古代より、何かそれだけの信仰に由来する何かがあったのではないでしょうか。

 瀬戸内海は、今ではエンジンとGPSの着いた船で、比較的簡単に航行できるます。しかし、むかしは単純は帆と櫓の船で、1日2回の干満で3m以上海面が上下し岩礁の状況が一変し、また、干満に伴い一日4回も時速10~20キロの方向が変わる潮流があります。簡単には航行できなかったようです。
 浄土寺は港町の商人や海運に関わる人々、舵取りや漁師などは、海の安全や商業の発展を祈る信仰対象は寺院でした。尾道一の寺院だった浄土寺を通して、港町尾道を実際に取り仕切ってた人々を味方に引き入れたいと考えていたのではないでしょうか。
 1930年頃の写真、当時の参道は海から直接お参りするようになっていました。
 足利尊氏が1336年に尾道に寄って、浄土寺に和歌を奉納したという記録が残っています。倭寇の持っていた瀬戸内海の制海権の許可をもらいにきたのではないのでしょうか。
山門の四脚門は室町初期の建築で国重文。




 山門の右側。尾道の石職人の技量がうかがわれます。
 新影流師範佐野甚十郎義忠の石碑。台石から3m近くあり、剣道趣意「柔能制剛弱能制強」の碑文は頼山陽揮亳になるもので、一つの岩から彫られている
 また石碑の両側からのりだすように刻まれている二疋の獅子はその巧妙さから名工和助の作であろう。
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