御袖腰掛石
尾道市長江一丁目  標高:15.0m
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 道真公が腰を掛けられた岩

 腰掛岩の前に天神金屋の麦畑がありますが、道真公に麦飯と甘酒を差し上げた由緒を尊んで、この麦畑で天満宮の神餌用の麦を作ります。

【伝説 菅原道真公の腰掛岩】

 菅原道真公は今から千百年ほど前の人ですが、立派な学者でもあり、書聖といわれるぐらいの書家でもありました。
 天皇に信頼されて右大臣の位につき、国の政治をみていましたが、左大臣藤原時平のざん言のために、九州の太宰府に流されることになりました。
 京都から長い船旅の途中、景色のよい尾道につき、ここで船泊りすることになりました。長江の入江に船をつけ、浜の岩に腰を掛けられた道真公は、静かな海と松のみどりにどれほど心をなぐさめられたことでしよう。
 百姓はこの御袖を家宝として代々大切にしましたが、のちに社を建てておまつりしました。
 この社は御袖が御神体なので、神社名を「御袖天満宮」というようになりました。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」 (2002年5月刊)より転載
 そこへ、この近くに住む金屋という百姓が通りかかりました。道真公を見て、都の人らしいがひどくお疲れの様子なので気の毒に思い、自分の家にお連れしました。
 そして、粗末ながら温かい麦飯と麦で作った甘酒を差し上げて、土地の様子など話してあげました。道真
公はたいへん喜ばれて、
「いろいろと心づかいありがとう。何かお礼をしたいが、今の身の上では」
としばらく思案しておられましたが、自分の衣の片袖をちぎると筆に墨をつけ、その袖に自分の上半身を描いて百姓に渡しました。






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